2009年3月24日

障害児を普通学校へ・全国連絡会は、分離を基本とする国内法制度を抜本的に変えないままでの障害者権利条約の批准に反対します!

報道によると、「障害権利条約」の批准のための法案が、この3月にも国会審議入りすると伝えられています。批准まであと数年かかるのではないかという見方が一般的であっただけに、私たちは驚いています。

私たちは、障害のある子もない子も、一緒に学び共に成長することを望み、1981年の創立以来、普通学級における共生共育を社会に対して訴え、その実現に向けて活動してまいりました。私たちは、人は人の中で育ち人間となるのであり、成長や学びのための手立てはその中で工夫することを基本とすべきであると考えています。
このような私たちの考え方は、2006年12月に国連で採択された「障害者権利条約」において、障害者が生きる上での基本的な権利として認められています。「人はその障害を理由として人とのつながりの中から分離されてはならない」という当たり前のことが、明文化されたのです。

ですから、障害者権利条約が批准されて国内法として一日も早く発効することを、私たちは望んでいます。しかし、国内法との整合性が図られなければなりませんので、拙速な批准を慎まなければならないのは当然です。

わが国の障害児教育は、一貫して「原則分離別学」でした。2007年度から文部科学省は、その名称を「特殊教育」から「特別支援教育」と変更しました。しかし、先日発表された「特別支援教育の更なる充実に向けて(審議の中間とりまとめ)―早期からの教育支援の在り方について―」では、就学前から就労までの個別支援という名のもと教育委員会に管理される体制が詳細に記されています。分離が基本であることを維持しているために、普通学級に入れない子どもを選び出す都合から、子どもの就学先の決定は教育委員会が行うようになっています。

これでは、障害者権利条約第24条の中にいう「締約国は、障害者を排除しないあらゆる段階の教育制度および生涯学習を確保しなければならない」という規定に抵触します。このままでは、とてもこの条約を批准することはできないはずです。分離を基本とする現行の教育制度を抜本的に変えることを抜きに、批准は考えられません。
そうせずに批准法案を国会審議入りさせるということは、文部科学省内と各省間で現行法と条約の整合性について合意がとれたということなのでしょう。しかし、お役所同士の合意がいかにできたとしても、分離を基本とする、教育基本法、学校教育法、および関係法令を変えないままの審議入りは、人々と国際社会を欺くことでしかありません。

私たちは、障害のある子もない子も一緒にすこやかに成長することを願う立場から、分離を基本とする国内法制度を変える審議を行わないままでの批准法案の国会審議には強く反対します。あわせて、どの子も共に生き共に学べる教育制度を確立したうえで、障害者権利条約を批准するよう、強く求めます。

2009年3月24日

権利条約拙速批准への反対声明を出す基本的立場

障害児を普通学校へ・全国連絡会 事務局長 千田好夫

 障害者権利条約およびインクルージョンについて、問答形式で障害児を普通学校へ・全国連絡会としての基本的な立場を明らかにしておきたいと思います。

  「障害者権利条約」は悪いと思わないが、それに頼るのはどうか?

  「頼る」という意図はありません。これが批准されたからといって「自動的に」障害者の状況が良くなるというものではないからです。多くの人が守ろうという憲法にも大きな欠点があります。しかし、現在の憲法が有ると無いとでは大違いです。権利条約もそれと似たようなもので、その内容は日本の障害者関連法令のどれよりも数段ましです。これを武器として使わない手はないのではないでしょうか。

  「インクルージョン」といっても、その意味するところは、例外なき共生であるフル・インクルージョンから、単なる「交流」までも含みうる、実に幅広い概念のようだ。われわれがこれを使う場合は、共生共育であることを明確にすべきではないか?

  全くその通りです。しかし、日本語で「共生」といっても同じ状況であることは踏まえておかねばならないのではないでしょうか。権利条約と同じで、言葉や法律自体が何かを決めるのではなく、われわれがどうしたいのか、どういう運動をくむのか、同時に反対する側がどう出るのかという関係の中で、意味内容が変わります。放っておけば、文科省が望むような分離教育の拡充強化にのみ使われてしまいます。それでは、われわれの望む「共生共育」はますます遠くなってしまいます。
反対声明は、そうはさせないというわれわれの態度表明であると同時に、権利条約もインクルージョンも共生共育を実現するために使っていこうという、われわれの運動の方向性を示すものだと思います。

2009年3月24日